「季節展おひなさま きらびやかな御殿飾り」を展示解説します

はじめに

季節展おひなさまの展示状況の全体です。

令和2年度季節展おひなさま きらびやかな御殿飾り 展示状況

令和3年2月12日(金曜日)から3月21日(日曜日)まで開催予定でした「季節展おひなさま」は、臨時休館により公開できなかったため、4月18日(日曜日)まで開催期間を延長しました。ここでは展示の見どころをホームページ上で紹介します。

平成18年度より継続してきたお雛様の展示ですが、本年度は当館の所蔵する御殿飾りに焦点を当て、昭和初期から昭和30年代までの御殿飾りを時代毎に展示をいたしました。ここでは展示した御殿飾りを昭和10年代頃、昭和20年代頃、昭和30年代頃に分けて観ていきたいと思います。

今回展示した雛人形は、全て寄贈いただいた資料です。

当館で収蔵する御殿飾りをすべて展示した状態です。

当館の御殿飾り13点を左から右へ新しくなるように展示しています。

御殿飾りとともに親戚から贈られた人形の写真です。

御殿飾りとともに飾られた浮世人形です。

昭和12年頃の寄贈された御殿飾り一式と写真です。当時と同じ状態で展示しています。

昭和12年の御殿飾りを当時の写真とともに展示しました。

御殿飾りとは

御殿飾りは、京都御所の紫宸殿(ししんでん)を模倣した、大正時代から昭和30年代にかけて流行した雛人形です。紫宸殿は昭和天皇の即位礼が行われるなど、公式行事の場所です。御殿飾りがつくられ始めた頃は、紫宸殿に似た造りでしたが、次第に紫宸殿にはないシャチホコや屋根瓦、きらびやかな装飾で飾られるようになり、大きく重層化していきます。

現代では、祖父母が孫の初節句に雛人形を贈ることが多いですが、かつては嫁入り道具として購入され、子供の初節句に浮世人形(能、狂言、演劇、舞踊から構図を取った人形)を親戚から贈ることが多く、それらを一緒に雛段に飾りました。各家庭で飾られた御殿飾りと浮世人形は、一つのまとまりを示す資料として購入年代が一定の時間幅を持っています。女児が誕生する度に浮世人形が贈られるため、家族構成により時間幅は異なりますが、それを一世代の一括資料と捉えることができます。

年代が明らかな御殿飾りや浮世人形は多くはありませんが、昨年度から進めてきた収蔵資料調査で、時代ごとに特徴が現れていることがわかってきました。そして、年代が明確な資料と合わせて御殿飾りの年代を検討し今回展示しています。

昭和10年代頃の御殿飾り

昭和初期

昭和初期の御殿飾りです。

当館で所蔵する御殿飾りの中で、最も古い昭和初期と考えられ、大正期まで遡る可能性もあります。屋根は紫宸殿の檜皮葺き(ひわだぶき)に似せた茶色で塗り、シャチホコなど豪華な装飾はなく、屋根は他に比べ低く造られているなど、古い要素が確認できます。

昭和10年代頃

昭和9年に購入された御殿飾りです。

この御殿飾りは、昭和9年の嫁入りで購入されたものです。屋根には漆喰製のシャチホコ、銅板の屋根を模したと思われる赤茶地に緑色の屋根、軒に付けられた破風(はふ)が昭和初期の資料とは異なった新たな要素として確認できます。

この時期の御殿飾りには、本来紫宸殿にはない装飾が付けられ、別の建物になっています。こうした装飾が進んだ影響の一つとして、昭和6年に復興した大阪城天守から影響を受けた可能性があるのではないかと推測しています。

昭和12年頃に購入されたと考えられる御殿飾りです。
左の写真の御殿飾りと同じお宅から寄贈された浮世人形です。

この御殿飾りと浮世人形は、先日同じお宅より寄贈された一括資料です。購入年代等は不明とのことでしたが、当館に寄贈された下写真の御殿飾りと全く同じであることから、昭和12年頃と考えられます。浮世人形はすべて展示できませんでしたが、白木の木枠にガラスが用いられ、昭和初期に流行した特徴です。ちなみに一緒に寄贈された雛人形には、内裏雛二対と子供のような顔をした裃雛もあり、こちらは明治45年と記されることから、御殿飾りの一世代前の雛人形と考えられます。

昭和12年の雛祭り

昭和12年に撮影された雛祭りの写真を再現した展示です。

この雛段の人形一式は、昭和6年から12年に購入され、御殿飾りは昭和12年に購入されたものです。その当時に撮影された右側の写真を再現して展示しています。

雛段の最上段から、御殿飾り、内裏雛、五人囃子、下段3段には浮世人形が置かれ、写真の最下段には太巻きと菱餅が供えられています。展示では太巻きを再現しました。手作りですが、本物ではありません。

 

昭和12年の御殿飾りです。
昭和12年の御殿飾りと一緒に飾られた、内裏雛や浮世人形です。

昭和20年代頃の御殿飾り

昭和20年代と思われる御殿飾りです。
昭和20年代の御殿飾りです。

戦後の御殿飾りは、戦前とくらべ豪華になっていきます。基本的な構造は、前時代に倣っていますが、屋根が高くなったこと、金属製のシャチホコや破風(はふ)に獅子の装飾、まぶしい金襖などグレードアップ感があります。上の2点は同じお宅から寄贈された資料ですが、左が母親が嫁入りで購入したもの、右側が長女の初節句に購入したもので、数年の時間差はありますがほぼ同時期と捉えられる資料です。

昭和20年代の浮世人形です。

上の御殿飾りとともに寄贈された浮世人形は、朱塗りの木枠が主流となった頃であることがわかります。明らかに戦前とは異なっています。同じ特徴をもつ当館の浮世人形に「昭和28年」とあることから、その前後の時代ではないかと推定しています。

昭和30年代頃の御殿飾り

昭和30年代の御殿飾りです。
昭和30年代の浮世人形です。

こちらも寄贈された時点では年代不詳ですが、御殿飾りはさらに大型になり、屋根は高くすべての屋根に破風(はふ)が付いています。御殿飾りの中の雛人形も、それまでよりも一回り大きく作られていることも、特徴として挙げられます。一緒に寄贈された浮世人形もそれまでのものよりも大きく、木枠は漆塗りになっている点から、昭和30年代後半から40年代初頭までを含むと考えています。

昭和28年から29年に購入された御殿飾り

こちらは昭和20年代末頃に購入された御殿飾りです。寄贈された資料の中でも、ひときわ大きく豪華で高さは80センチメートルあります。

御殿飾りが終わるとき

御殿飾りは、次第に豪華になっていった昭和30年代でその姿を消していき、その後は段飾りの雛人形が主流となっていきます。ちょうどその頃は、日本の経済成長が日々進み、東京オリンピック(昭和39年)が開催された頃です。

この大きな時代の変化の中で、私たちの暮らしも大きく変わりました。昭和30年代で御殿飾りは姿を消していきますが、それは雛人形の在り方が変わったというよりも、私たちの生活スタイルの大きな変化に他なりません。

御殿飾りの流行は、激動の時代「昭和」を象徴しているように思えます。

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赤堀歴史民俗資料館
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更新日:2021年03月22日