常設展示
赤堀歴史民俗資料館1階に考古資料・2階に民俗資料を常設展示しています。
1階 常設展示
赤堀歴史民俗資料館周辺の地形と遺跡を示した模型です。
令和3年1月、「伊勢崎市と赤城山・利根川・渡良瀬川」の展示パネルを追加しました。
三和工業団地遺跡から出土した縄文土器
お富士山古墳の長持形石棺レプリカ(右)と赤堀村16号墳舟形石棺(左)
市内で出土した埴輪。大きい馬形埴輪は蛇塚古墳出土の市指定重要文化財。
赤堀茶臼山古墳と埴輪工房跡の釜ノ口遺跡の展示。
古墳時代の竪穴住居から出土した土器
令和2年6月にリニューアルした古代の展示
1階常設展示室は、市内で発掘調査で出土した旧石器時代から平安時代までの考古資料を展示し、時代とともに古代人たちの生活の移り変わりが学べるようになっています。
見どころは、古墳時代の王者の石棺と呼ばれるお富士山古墳の長持形石棺レプリカをはじめ、県内最大級の蛇塚古墳出土の馬形埴輪、赤堀茶臼山古墳の家形埴輪(レプリカ)とその埴輪工房跡と考えられる釜ノ口遺跡出土の家形埴輪など、古墳時代の展示が充実しています。
古墳時代以外でも、三和工業団地遺跡出土の縄文土器や、国指定史跡の上野国佐位郡正倉跡復元模型(現在殖蓮公民館で展示中)を展示しています。
2階 常設展示
復元家屋展示「清くんの夕暮れ」令和2年10月リニューアル
昭和9年12月、9歳の少年清くんが暮らす一般的な伊勢崎の農家での、ありふれた日常を復元家屋で寄贈された収蔵資料で展示しました。展示の内容は、「清くんの夕暮れストーリー」を基に、展示しています。清くんの日常をのぞいて見てください。
清くんの夕暮れストーリー
今からおよそ90年前、昭和9(1934)年12月16日の夕暮れ時の伊勢崎の農家。もうすぐ冬至になるこの頃は、日が沈むのが早い。畑仕事を早めに切り上げて帰ってきた母ちゃんは、休む間もなく夕飯の支度で忙しそうだ。俺の名前は清、9歳。「あー、いい匂いがしてきた。今日はあったけぇニボウトだ。」遅れて帰ってきた父ちゃんのところへ、近所の三郎おじさんがやってきた。でけー声で話し込むうちに、とうとう酒盛りが始まっちまった。二人とも、これがねらいのようだ。「おい、沢庵出してくんな!」父ちゃんも調子がいい。こうなるとしばらくおじさんも帰らない。また今晩も酒盛りで、父ちゃんワラ仕事どーすんだんべ。馬のハナもよくしゃべる二人を見つめている。「腹減ったなぁ。早く、母ちゃんのニボウト食いてーなー。」
アガリハナにはお酒が
ニボウトをイロリで作っています
右側にはウマヤ、奥の棚には生活道具
伊勢崎を築いた人々・近代編(令和2年10月リニューアル)
明治時代以降、伊勢崎は徐々に近代都市へと発展し、人口20万都市となりました。そこには多くの先人たちが、歴史と文化を造ってきました。近代に生きた、5人の伊勢崎の先人を紹介しています。
展示で紹介する人物
石川泰三 自由民権家・伊勢崎町長
中島徳蔵 東洋大学中興の祖と建てられる倫理学者
森村酉三 白衣大観音の原型を造った鋳金工芸家
本間三郎 剣道界最高の範士の称号を持つ政治家
田島弥平 近代養蚕業「清涼育」を考案した蚕種研究家
養蚕道具や戦後から高度経済成長期の生活道具も展示
明治時代から昭和初期の伊勢崎の写真を展示
寄贈された養蚕道具
戦後から高度経済成長期のテレビや洗濯機などの生活道具
2階ホールパネル展示 史跡女堀と世界遺産田島弥平旧宅
2階ホールでは、史跡女堀と世界遺産田島弥平旧宅のパネル展示をしています。灌漑用の水を求めて用水路を開削し、途中で工事が終わってしまった女堀。利根川沿岸で幾度となく洪水の被害を受けつつも、蚕種製造の産地として発展した田島弥平旧宅の境島村。同じ市内にありながら対照的な水との戦いの歴史をパネルで紹介しています。
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赤堀歴史民俗資料館
〒379-2204 伊勢崎市西久保町二丁目98番地
電話番号 0270-63-0030
ファクス番号 0270-63-0087
更新日:2021年01月21日