金井烏洲

更新日:2024年03月06日

金井烏洲

金井烏洲

(かない うじゅう)

寛政8年(1796)~安政4年(1857)。現境島村の金井文八郎(華竹庵万古)の次男に生まれる。江戸時代後期の南宗画家。 烏洲は号で時敏、のちに泰、字は子修また林学、通称左仲太のちに彦兵衛と称した。来遊した春木南湖に就いて画を学び、江戸に出て谷文晁を師友とし、関東南画家の一人として名を成した。上野国白井双林寺、前橋龍海院などの大画面障壁画も製作した。一方学問を好み、詩文もした。
菅井梅関、篠崎小竹らとも交流があった。嘉永6年(1853)日光に避暑、その間に執筆した「無声詩話」の著者としても有名である。最晩年は生家呑山楼に書画三昧の生活を送った。
安政4年(1857)1月14日、62歳で没した。「赤壁夜遊図」は伊勢崎市重要文化財になっており、「金井烏洲と一族の墓」は群馬県指定史跡になっている。

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