常設展示
赤堀歴史民俗資料館1階に考古資料・2階に民俗資料を常設展示しています。
1階 常設展示
赤堀歴史民俗資料館周辺の地形と遺跡を示した模型です。
「伊勢崎市と赤城山・利根川・渡良瀬川」の展示パネル
三和工業団地遺跡から出土した縄文土器
お富士山古墳の長持形石棺レプリカ(右)と赤堀村16号墳舟形石棺(左)
市内で出土した埴輪。大きい馬形埴輪は蛇塚古墳出土の市指定重要文化財。
赤堀茶臼山古墳の埴輪群
赤堀茶臼山古墳の鶏形埴輪と埴輪工房の釜ノ口遺跡出土の羽破片が接合
本関町古墳群を中心とした古墳群の展示
豪族居館原之城遺跡の展示
古代の展示
1階常設展示室は、市内で発掘調査で出土した旧石器時代から平安時代までの考古資料を展示し、時代とともに古代人たちの生活の移り変わりが学べるようになっています。
見どころは、赤堀茶臼山古墳の鶏形埴輪と埴輪工房の釜ノ口遺跡をはじめ、古墳時代の王者の石棺と呼ばれるお富士山古墳の長持形石棺レプリカ、県内最大級の蛇塚古墳出土の馬形埴輪など、古墳時代の展示が充実しています。
古墳時代以外でも、三和工業団地遺跡出土の縄文土器や、国指定史跡の上野国佐位郡正倉跡復元模型を展示しています。
2階 常設展示
復元家屋展示 昭和9年12月16日「清くんの夕暮れ」
昭和9年12月、9歳の少年清くんが暮らす一般的な伊勢崎の農家での、ありふれた日常を復元家屋で寄贈された収蔵資料で展示しました。展示の内容は、「清くんの夕暮れストーリー」を基に、展示しています。清くんの日常をのぞいて見てください。
清くんの夕暮れストーリー
今からおよそ90年前、昭和9(1934)年12月16日の夕暮れ時の伊勢崎の農家。もうすぐ冬至になるこの頃は、日が沈むのが早い。畑仕事を早めに切り上げて帰ってきた母ちゃんは、休む間もなく夕飯の支度で忙しそうだ。俺の名前は清、9歳。「あー、いい匂いがしてきた。今日はあったけぇニボウトだ。」遅れて帰ってきた父ちゃんのところへ、近所の三郎おじさんがやってきた。でけー声で話し込むうちに、とうとう酒盛りが始まっちまった。二人とも、これがねらいのようだ。「おい、沢庵出してくんな!」父ちゃんも調子がいい。こうなるとしばらくおじさんも帰らない。また今晩も酒盛りで、父ちゃんワラ仕事どーすんだんべ。馬のハナもよくしゃべる二人を見つめている。「腹減ったなぁ。早く、母ちゃんのニボウト食いてーなー。」
アガリハナにはお酒が
ニボウトをイロリで作っています
右側にはウマヤ、奥の棚には生活道具
9歳の清くんパネル
高度経済成長期の物語 昭和40年「清くんの家電生活」
昭和9年に9歳だった少年清くんが、40歳になった昭和40年をテーマとした常設展示です。高度経済成長期の清くんの家電生活をのぞいて見てください。
清くんの家電生活ストーリー
ここは今から50年程前の、昭和40年(1965)の夕暮れ時の居間の風景。去年の東京オリンピックに合わせて月賦(げっぷ)で買った白黒テレビから流れるアニメ「オバケのQ太郎」に子どもたちが声をあげている。まさにオバQブームだ。
私は今年で40歳の清。村役場の仕事が終わり、ちょうど帰ったところだ。毎日冷蔵庫で冷えたビールを飲むこの時間がたまらなく待ち遠しい。
奥の台所からは「トントントン・・・」と夕飯の支度の音が聞こえてくる。昼間は祖父ちゃん、祖母ちゃんと毎日お蚕の世話で忙しい妻の幸子が、オバケのQ太郎で騒ぐ子どもたちを一喝する。「我が家も流行語のようにすっかり三ちゃん農業(祖父ちゃん、祖母ちゃん、母ちゃんで営む農業のこと)だな。」
叱られる子どもたちを横目に、こっそりビールを飲んだりしたら、こっちも叱られそうだ。「幸子、今日の晩御飯なんだんべ。」
40歳の清くんです。
昭和40年前後の家電資料を中心に展示しています。
養蚕道具や明治時代から昭和初期の写真
明治時代から昭和初期の伊勢崎の写真を展示
寄贈された養蚕道具
2階ホールパネル展示 史跡女堀と世界遺産田島弥平旧宅
2階ホールでは、史跡女堀と世界遺産田島弥平旧宅のパネル展示をしています。灌漑用の水を求めて用水路を開削し、途中で工事が終わってしまった女堀。利根川沿岸で幾度となく洪水の被害を受けつつも、蚕種製造の産地として発展した田島弥平旧宅の境島村。同じ市内にありながら対照的な水との戦いの歴史をパネルで紹介しています。
この記事に関するお問い合わせ先
赤堀歴史民俗資料館
〒379-2204 伊勢崎市西久保町二丁目98番地
電話番号 0270-63-0030
ファクス番号 0270-63-0087
更新日:2024年05月15日