縁切寺満徳寺文書

更新日:2018年02月01日

縁切寺満徳寺文書の写真

 江戸時代、離婚の権利は夫が持っていた。女性が離婚を望み、同意を得られなかった場合、最後のよりどころが縁切寺であった。満徳寺は鎌倉の東慶寺とともに縁切寺として知られていた。その満徳寺の寺役人の子孫川越家に文書が伝わる。総数331点のうち駆け込み関係の文書は22点ある。離縁状は写真のように本文を三行半で書いたことから三行半(みくだりはん)と言われた。当時の習俗や離婚制度を知る上で貴重な史料である。

 

概要

名称

 縁切寺満徳寺文書(えんきりでらまんとくじ もんじょ)

指定年月日

 昭和36年1月6日

指定区分

 県指定重要文化財

所在地

 太田市徳川町385-1(縁切寺満徳寺資料館)

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