八角形倉庫の発見
殖蓮小学校で行われた3次調査では全国で初めてとなる八角形倉庫が検出されました。八角形倉庫は正倉の中でも最大規模を誇り、佐位郡正倉の象徴的な建物と言えるでしょう。
「上野国交替実録帳」の佐位郡正倉項には「八面甲倉」と書かれており、調査で確認された八角形倉庫を指しています。甲倉とは校倉造りの高床式倉庫のことと考えられており、この八角形倉庫も校倉造りの高床式倉庫と考えられています。八角形倉庫は礎石建物で外側の白線は建物の掘り込み地業、小学生の立っている小さい円が礎石を据えた痕跡です。
調査では礎石建物下層にも掘立柱式の八角形倉庫が確認されています。正倉が造られた当初から、佐位郡正倉の象徴的な建物として八角形倉庫が造られていたことが判明したのです。
八角形倉庫と「上野国交替実録帳」
群馬県には「上野国交替実録帳」という貴重な文献史料が残されています。三軒屋遺跡で検出された八角形倉庫はこの文献史料の記載に一致したのです。これにより「上野国交替実録帳」の信憑性も高まりました。さらに記載された建物群と検出された遺構とを対比検証できるようにもなりました。
「上野国交替実録帳」とは?
「上野国交替実録帳」は1030年に作成されたもので、国の役人が交代する際に交わした引継ぎ書の草案です。上野国14郡ごとに役所や寺院(国分寺など)の建物などが記載されています。各建物は当時、壊れてなくなっているものが書かれています。
この中の佐位郡正倉の項には「八面甲倉」があったと書かれており、実際の調査で史料の建物が特定された極めて珍しい例となりました。現在 「上野国交替実録帳」は国宝に指定されており、東京国立博物館が所蔵しています。
文献史料からのアプローチ
「上野国交替実録帳」の記載をもとに作成した佐位郡正倉の復元図です。実際の発掘調査で確認されたのと同様に、東西に並ぶ倉庫の列が複数あることがわかります。
また「実録帳」には北、中、中南、南の4グループがあります。発掘調査でも建物の主軸方位から2つのグループに分かれており、「実録帳」の記載に符合している可能性があります。
全国の正倉遺構はいまだ不明な部分も多く、その配置や構造など解明しなければならない課題も多いのが現状です。三軒屋遺跡のように実際の遺構と文献を照らし合わせ、正倉院の実態を掴むことができる遺跡はほとんどありません。このことからも三軒屋遺跡の研究成果が今後の郡衙正倉の研究に与える影響は高いと言えるでしょう。
八角形の謎
なぜ都から遠く離れた伊勢崎の地に八角形の倉庫が造られたのでしょうか?
古代において八角形は特別な意味があったようです。平城宮大極殿で天皇が座る玉座である高御座は八角形ですし、当時の天皇のお墓は八角形をしています。
写真の高御座は文献史料などを検討し、表現されたもので復元された平城宮大極殿の中におかれています。
また仏教建築でも多く見られ法隆寺夢殿などが有名です。他にも栄山寺八角堂、興福寺北・南円堂などが現存しています。
三軒屋遺跡の八角形倉庫建設の背景にも天皇家や仏教信仰とのかかわりが考えられますが、明確な答えは出ていません。しかし当時、見たこともないような八角形の建造物をつくるには、相当の知識や技術が必要だったはずです。八角形倉庫の発見は、都から遠く離れたこの伊勢崎の地に、これらを造るにふさわしい力のある豪族がいたことを教えてくれるのです。
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更新日:2019年04月10日