三軒屋遺跡

更新日:2019年04月10日

三軒屋遺跡とは?

 今から約1300年前、群馬県は上野国、伊勢崎市の大半は佐位郡と呼ばれていました。上植木本町で見つかった三軒屋遺跡は古代佐位郡の役所跡です。
三軒屋遺跡では税として集めた米を保管しておく正倉と呼ばれる施設が見つかっています。税の収納施設である正倉は郡衙の中心施設である郡庁にならび、中央政府がもっとも重視した施設です。

 調査では多くの米倉が見つかっていますが、全国で初めて八角形の倉庫が見つかりました。さらにその建物が「上野国交替実録帳」という文献史料に書かれていた建物であることがわかり大変注目された遺跡です。

 なお、平成26年10月6日、三軒屋遺跡の一部が「上野国佐位郡正倉跡」として国指定史跡となりました。

関連リンク

奈良・平安時代の伊勢崎

遺跡位置図

 当時の日本は天皇を中心とした律令国家として広く知られています。律令政府のもと日本は60あまりの国に分けられ、ひとつの国はいくつかの郡に分かれていました。国には国衙、郡には郡衙という役所が必ず置かれていたことがわかっています。

 上野国は左図のように14郡の役所があったはずですが、確実に分かっているのは三軒屋遺跡と新田郡衙である天良七堂遺跡のみです。    

古代の役所

郡衙の施設、古代の役所の成り立ちを表した図

 古代の役所は現在と同様、さまざまな仕事をつかさどる施設から成り立っていました。代表的なものは郡庁・正倉・館・厨家の4施設です。

 佐位郡の役所は正倉しか見つかっていませんが、郡庁など他の施設も周辺に眠っているものと考えています。      

遺跡の位置と周辺遺跡

 三軒屋遺跡は上植木本町の殖蓮小学校を中心に広がる遺跡です。北1キロメートルには同時期に創建された上植木廃寺が存在し、この地域が古代伊勢崎市の中心地でした。上植木廃寺と三軒屋遺跡の間には恵下遺跡などが広がっていますが、このあたりに正倉院以外の郡衙施設が眠っていると考えられています。近い将来、新たな発見があるかもしれません。

 また三軒屋遺跡の東西には南久保遺跡、大道西遺跡が存在し、それぞれ正倉院に向かう古代の道路跡が見つかっています。

地図情報

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